踏ん張れ!とーちゃん!!

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偉人のビジネス書をたくさん読んで気づいたこと。

藤田晋、前田裕二、箕輪厚介、見城徹

ボクは今、1日1冊のペースで、このような人たちが出した本を読んでいる。

 

起業家の人生をインプットしているよう。

それを短期間でやっていると、

共通のバックボーンみたいなのが見え隠れしてくる。

 

まず、一つボクの中での発見、それは、

 

この人たちもボクと同じような壁を必ず経験している

 

ということだ。

ボクは今、生後2ヶ月の息子がいる。

この年月しか生きていない人間は、みんな一緒だ。

顔だけが違うようにも思える。

 

自分にとって不具合があれば泣き、

そうかと思えば次の瞬間爆睡している。

自由だ。

この時点では、どんな人も差がない。

 

では、どこで差がついた?

人間生きていれば、自分の思い通りにならない事象に悩み、一喜一憂している。

今、ボクの「好きなことやれていない」という感覚や、

もっと抽象的な「なんかこのままだと嫌だぁ」という感覚、

それらを生む物事が壁となって、自分の前に立ちはだかっている。

 

でも、ボクの他にも、このような壁は多くの人がぶち当たる可能性が高い壁だ。

それは、先に上げた偉人たちも例外ではないだろう。

 

ボクと前田裕二や藤田晋たちで、違うところ。

それは、そんな壁、ボクとは比較にならないくらい圧倒的早くぶち破り続けている。

ということ。

 

壁を壁と思っていなかったり、

破ることをゲームと思いワクワクしていたり、

その邁進力たるや、すさまじい。

 

もちろん、才能の差というものはある。

後天的な努力だけで、人と人との差が埋まらないから、

今の世界の形があり、面白かったり、スリリングなんだ。

 

ただ、ボクがその偉人たちに感じる邁進力や熱、スピード、量は、

ボクには無理か?と自問したとき、

「いや、できんじゃねーかな!」と思えるんだよね。

だって、「行動を起こす」。だけでしょ?

 

はるか向こう側の壁で、今戦ってる先人たちが、

ボクのこの眼の前の壁の壊し方を教えてくれているんだ。

 「こうやったら壊れたよ、それ」って。

 

じゃあ、やる、だけ。

 

ビジネス書を読んでいると、

なぜかほとんどの本で一度は、戦国武将か幕末の志士たちの例えが出てくる。

 

何冊もの本から、この世を戦国なり幕末とリンクさせられうちに、

本当に今は転換期だと思えて、しょうがない。

行動しなくちゃ、という気にさせられる。

村人Aや村人Bの名は残らず、行動を起こした者たちの名でしか日本史は構成されていない。

そして、

今の世の中、成功しよう、一旗揚げよう。と、歩みをはじめても、

命獲られることまずない。

 

むしろ「こうすれば大名になれるよ」という指南書が1日1冊読んでも読みきれない。

下剋上すら便利化されているのだ。

 

馬鹿なボクでもいいかげん気づいたぞ!

「やるだけじゃん」って。

 

行動、量、スピード。

 

誰もがめんどくさがるからこそ、それを代行するように、アクションを起こす人が成功する。総取りする。

 

絶対そうだ。

 

スピード、量は正義

質は幻

 

これからボクは、もっともっと行動する。

ここに〇〇やってみた。とか、〇〇いってみた。とか、

そんな話が書ければ、それでいい。

 

やりきったことがないんだもん。

やってみないと分からないさ。

 

行動行動行動!

 

自分の「行動・スピード・量の相場」、そのリミットを今日から外す。